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どん底6年間からの独立ストーリー | 最高自速で夢が叶う魔法の法則デザインミー

どん底6年間からの独立ストーリー

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挫折、ニート、パリ逃避、転職ジプシー…。6年間のどん底時

中学2年から夢見ていたプロミュージシャンを目指し都内のライブハウスで活動。

週末の昼は代々木公園で警察とイタチごっこをしながら路上ライブ。僕らの楽曲は夢や人を応援する詞が多かった。

後から考えると、誰よりも自分自身を応援し勇気づけたかったのかもしれない。

今では考えられないくらい自分の作品に対しては頑固だった僕は、ライブハウスの人やレコード会社の人とぶつかった。ファンの子たちとうまくコミュニケーションが取れなかった。

僕たちは自分たちの強みや魅力をあいまいなまま、次第にゴールが見えなくなり、人間関係にも亀裂が入り始めた。周りのライバルたちにどんどん追い越されていくのもつらかった。

この頃は、何にも縛られずに自由に思い切り夢に向かってやれていたはず。

でも、ハッピーではまったくなかった。焦り、苛立ち、不安に足を引っ張られ歯を食いしばりながら前進していた気がする。

バンドを解散する数ヶ月前に書いた最後の曲は、感謝を込めてファンや友人の夢を応援する曲だった。この曲をライブで歌った時のみんなの反応と自分自身の感覚、あの一体感が今でも忘れられない。

結局バンドは解散し、中学2年から見ていたミュージシャンの夢に終止符を打つ。僕には後悔と後悔2と後悔3しか残らなかった。

毎日泣いた、泣き続けた。

自分を夢を叶えられなかった無力な自分を恨んだ。認めてくれなかった世の中を嫌いになった。

そうして、部屋に引きこもりゲームと映画の日々を過ごすことになる。

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ニート→パリへ逃避→3年3社転職

それからは家に引きこもりゲームや映画で一日中過ごす日々を送る。

ある日突然、パリへ行こう!と思い立ち、世間の目から逃げるようにフランスへひとり旅。

ある田舎町で死を意識する出来事に直面した僕は、大切な人たちを思い出し日本へ帰国。


帰国後、高校から付き合っていた彼女と結婚を決める。

26歳、初社会人

結婚式の直前、パソコンもできない僕の絵を評価してくれた方との出会いで26歳新社会人。

社会人になっても挫折を引きずり仕事もできない僕は、いつも会社で孤立していた。

帰りの電車の窓に映るスーツ姿の自分を見て何度涙しただろう。

いつも孤立していた僕はある日、営業部に新しく入ってきたYさんから声をかけられる。

Yさんは僕をよく飲みに連れて行ってくれたり、イラストの仕事を紹介してくれた。

やりたいこともなく、ブレブレだった僕は、会社での経験やYさんからもらった仕事を通して、自分の好きなこと、得意なことを活かした世界でやっていきたいと思うようになる。

そんな時、Yさんが解雇され、また僕は会社で孤立し転職する。

結果的に僕は、3年間で3社の転職をした。

家族との時間と自由を得るために独立起業

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3社目、朝早く夜も遅く2歳の子どもと会えない日々に焦っていた時期、突然パニック障害になり、外出が困難に…。

そんなある日、奥さんが腰を痛めて動けないのに、子どもが熱を出したのに、祖母が亡くなったのに会社に行かないといけないということが重なり、僕は限界を感じた。

いい加減、転職という逃げが幻想だということもわかっていた僕は、会社を辞めることを決め、世にいう独立をすることになる。

ここから僕の価値観である「大切なことを大切にする生き方」に沿った、自分の人生をデザインする物語の序章が始まった。

独立起業するが…

独立は社長やYさん、友人たちからも止められたが、迷わず独立。

フリーランスで自由になったはずが、当時と何も変わっていない僕はお客さん関係や時間、売上に悩まされる日々。

「このままで大丈夫かな…」

そんな想いを持ちながらも諦めやすくヘコみやすく逃げグセのある僕は、営業やセールスは一切できなかった。

今までの僕ならまた別の方法、再就職などを考える行動を取ったかもしれない。しかし、この時は違かった。


なぜなら『家族と一緒に過ごし、自分らしく自由に生きる』という明確な目的があったから。
だから僕は、この時ばかりはブレずにフリーランスの状態を保ちながらできる策を探すことに注力した。

起業のゴールが変わった瞬間

ある時、子どもの幼稚園にお迎えに行った際、たくさんの子どもたちに出迎えられた。
子どもたちは全身キラキラのエネルギーを発していて、僕はその衝撃に圧倒される。

この時僕は、子どもたちが見る未来を、彼ら自身でデザインできるよう応援したいと思った。

そしてすぐに区役所の窓口へ行き、ワークショップなどの提案をするが軽くあしらわれることばかり。しかたなくボランティア団体に入る。

お財布は空っぽだったが、心がおなかいっぱいになる経験をいくつもし、僕は何となく自分の大きな目的に気づき始めた。

そして、自分の得意なことで、人を応援できる方法は何かを自問自答しながら個人としても行動を続けた。

活動をしていく中で「子どもが未来を夢見るためには、大人が自分らしく人生を夢中に楽しんでいる姿を見せることが大切」と気づき行動範囲を広げ今も続けている。

学校で子どもたちの夢をデザインするワークショップをクリエイターとして届け、いじめや不登校で悩む家庭へ、オリジナルアニメを作りライブ上演を仲間と開催。

母親や女性が、笑顔になれるようなブランドを会社で作り、子ども食堂を毎週土曜日、団体として続け、自己実現や起業したい人へ向けて講演を行政と行っている。

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突きつけられた起業という現実

事務所を借り従業員を雇い事業が軌道に乗り始めた頃、いくつかの忘れられない事件が起きた。

恩師の急逝

ひとつは僕をデザイナーと認めてくれ可愛がってくれたメンターYさんの急逝だった。
Yさんも僕のように起業しようと準備を進めていた矢先だった。

仕事が大好きだったYさんの気持ちを想像すると、夢半ばの死はさぞかし無念だったと思う。
僕は何の恩返しもできずお別れの日、僕はひとり号泣していた。

友人の廃業

ふたつ目の事件は、家族ぐるみで仲の良かったパパ友の起業。
僕は彼から起業の相談を受けた時、起業がどれだけ素敵なものかを目をキラキラさせながら話した(んだと思う)

何度か相談に乗った後、彼は起業した。
ところが現実はうまくいかない、僕は絶対に諦めて欲しくない!と提案をし彼を応援した。

結果的に廃業し家族ともども神戸へ引っ越すという結末を迎えてしまった。

ずっと付き合って行くはずの人たちだったのに…。
僕は自責の念と戻れない日々を思い出し、子どもたちに謝りながら一緒に大泣きをした。

仲間たちの撤退

一方で僕が最初に借りた事務所は、起業家たちが入るオフィスフロア。
そのため起業仲間と廊下で立ち話をしたり、お互いの事務所へ遊びに行くことが日常茶飯事だった。

3年の入居期間中に何人の起業家の廃業を見ただろう。
あんなに上手く行っていたのに、あんなに夢を語り応援し合ったのに…。

起業と言う夢を失った人たちを立て続けに見た僕は、これ以上夢や自己実現で失敗する人を見たくなかった。

これらを経験をする中で僕は、今までの直感だけのやり方を改め、道徳、成功哲学、マーケティング、ブランディング、デザイン戦略、心理学・脳科学、コーチングなどを学び自分なりのやり方を模索。

しかしこの時点では、他の人と同じことを学んでるだけで自分らしいやり方はうまれず、僕の人生を実験台にしながら試行錯誤を繰り返していった。

それから数年、このやり方なら大丈夫!と確信。
理由は、いくつもの夢や自己実現が10年間叶い続けたから。

こうして僕は、才能と魅力を最大化し、見える化・伝わる化する方法をメソッド化して、望みを叶えたい人たちの応援やサポートへシフトして行くことになる。

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